2011/03/26

震災後はじめての夜スイム

東日本大震災の後、寒く雨がちな日が続いた。福島原発からは、心配なニュースばかりで、懸命の対策にもかかわらず今も放射性物質が漏れ続け、日本の国土と海が汚染され続けているているのだろう。全く気分の滅入る二週間だったが、先週から再開されていた夜スイムにやっと行く気分が戻ってくる。幸い、夜スイムで使用してるプールは半地下で造りがしっかりしていたらしく損傷はない。ほぼ1ヶ月ぶりの夜スイムだが、宮古島にいく人たちを中心に結構にぎやかな感じ。こうしてカラダを動かすことの貴重さをつくづく感じる。右呼吸のため、左腕の入水からキャッチの間に、自分の頭を腕に乗せて前に運ぶような感覚を大事にするといいよ、という荒井コーチの指摘はまったくその通りで、パドルのドリルのときはそのワンポイント指導でずいぶん速くなる!久しぶりのスイムでカラダがなまっていたのと、泳ぎが硬く伸びがなくなっていたようだ。4月からはできるだけ毎週参加したいと思う。

2011/03/13

大地震後2日目

日曜のランチに三陸産の生の芽ワカメを買ってきた(まさか売っていないと思ってたが地震が起こる前に出荷されたものだろう)。このワカメを採ってくれた人、送ってくれた人たちは無事だろうか。わかめが本当においしいだけに気になる。こんどこんなにおいしいワカメが食べられるのは一体いつになるのだろうか。このワカメを買った小さな近所のスーパーでは、トイレットペーパやパン類などの棚が空っぽ。さらに野菜や魚の一部は入荷できず品数が限られていた。

福島原発が心配だ。今回の原発の事故に関しては、日本のメディアより外国のメディアのほうが遥かになまなましい報道をしてる。アメリカはスリーマイルを経験してるし、ヨーロッパの人たちはチェルノブィリの悪夢を知っているから。ベントという素人がわからない言葉を使ってるけど、要するに放射能を外に出すしかもう手がなくなっているということ。格納容器に海水を満たした原子炉があるけれど、一体海水の熱容量だけで原子炉の冷却ができるのか、よくわらん。安全に原子炉が停止することだけを祈る。

東京近郊に限っても、今週一週間は金曜日のゆれ程度(やそれ以上)の地震が千葉沖などで起こっても全くおかしくない状態だろう。明日月曜日に出勤するときは、徒歩帰宅用のシューズとバイクのヘルメットを持っていくことにする。

2011/03/12

東北大地震:帰宅30kmウォーキング

東北大地震の被害が拡がっている。もうすぐ待ち遠しい春が来て桜が咲こうという時になんということだろうか。東京でも相当激しくゆれた。麹町の職場のビルから逃げでたら、まわりのビルからもサラリーマンが通りにでており、強い揺れが続く中騒然とした状態。勤務免除(もう帰りなさい)が出たため、すぐに甲州街道を西へ向かう。鉄道はすべて止まっているので、歩道は大変な人。携帯もメールもぜんぜんつながらない。家のことを(多分大丈夫だとは思いながらも)心配しながら、歩いていく。信号で止まりながら進むので、ちょうど皆生トラのランを歩いているような感覚だ。距離も30K。余震が起こっているようで、歩きながらも少しゆれを感じる。途中の歩道では旧い建物の壁面が崩落してコンクリートの塊が落ちているところもある。気をつけて歩こう。

大地震のあとなのに、甲州街道沿いのレストランとかカフェには意外に落ち着いて休憩したり食事したりしているひとが結構いる。スーパーなんかも普通に営業しているようだ。「帰宅途上の方々、よかったら無料のお茶で休んでいってください」という看板をだしている食堂もあった。5から6時間で自宅到着を予定していたが、5時間半ほどでようやく京王の府中駅に到着。その手前で「東京オリンピックのときの競歩50K折り返し地点」という大きな看板が出ていたので、その地点ですでに30Kほど歩いていたのだろう。甲州街道はクルマでぎっしりだったが、府中街道はある程度動いているだろうと予想して、幸い動いていた国立行きのバスに乗り、ようやく自宅にたどり着いたのは午後10時過ぎだった。家の被害などはなく、有線電話で家族の様子も確認でき一安心だが、余震がまだ続いていた。シューズがランシューズでなかったため、足の裏が痛くて、変な風にふくらはぎが疲れている。一度シミュレーションしようと思っていた災害時の徒歩帰宅を、皮肉なことにやっと本番で実体験したことになった。

家でテレビをみて大変なことになっていることを改めて認識。怪我もなかったぼくらは運が良かっただけ、今後余震も起こる可能性も非常に高い。ぼくらも油断することなく、かつ激しく被災した地域の方々にはお見舞いを申し上げるしかいまのところない。