2011/09/11

あの日から半年

久しぶりにクルマ(3.11以降ほとんど乗っていなかったのでバッテリーがあがってたのをなんとか始動)を動かして気持ちよく走れる環境で移動し1時間ちょっと走る。まだまだ暑い日差しだけど、あたりから葉に隠れた紫色の葛の花の甘い香りが漂ってる。佐渡も先週終了して今年のトラシーズンも終了。来年は佐渡に申し込み成功させたいけど、一方この異常なトラ人気自体があんまりスキくない。あの祝祭的な雰囲気は大スキきなだけど・・・。それに加えて、今のところ(ボケ防止対策趣味上の)関心事は中国語にシフトしてしまってる。中国語に咬まれた、といっていいだろうね。ここしばらくは、オツムのエクササイズは中国語で、カラダのエクササイズはトラということになるね。

3.11から半年、フクシマもまだまだ心配、復興もまだまだ。強い地震活動も衰えてないようにみえる。もはやこの暑い夏も原発を大部分止めた状態で、停電なし(えらく大げさに騒いでたけど:あれも神話?)でいけたんだから、浪費しない豊かな世の中へむけて、地に足着けてさきがけて進化することを、まずは大目標として定めるべし。ちなみに今日は、9.11から10年。世界で大きく騒いでるのは、アフガニスタンやイラクなんかで積極的に武力を展開してる国やその周辺だけのようにみえる。

2011/08/21

8月なのに涼しいぐらいの週末

一昨日まで真夏の気温だったのに、この週末、10℃気温が下がって夏も一休み。あまりに涼しいので、海で泳ぐ気分が完全に失せてた。今日の三浦OWSは寒々しい風景の中泳ぐことに気が進まないのでDNSにする。海の中は暖かいんだろうけどね。

その反面、涼しくなっておつむを使ってやりたいことがむくむく。今年4月から週一回だけだけど、少しづつ中国語を習ってる。やっとこさ発音記号に慣れてきた程度だけど、これがとても新鮮で面白い。先生曰く、「中国語はカラダを使って発音しよう」。中国語の発音はほとんどカラダのエクササイズなんだな(初心者にはそれくらいしないと中国語らしい感じが出せない)。これまで2度ほど独学で中国語をかじってはみたが、発音でつまづいて放置してきた。この壁をブレイクスルーするため、今年になって先生について習い始めたわけ。実用的価値の無い100%頭のエクササイズなんだけど、11月末に自宅近くでも中国語の検定試験があるらいしのでとりあえずそれを目標にすることにした。涼しくなると、海で泳ぐ気持ちがなくなる分、今日は中国語に気持ちが向かってる。

来週は逗子湾を泳ぐ湘南OWSだ。気温が上がって夏らしい青空の下で泳ぎたいね。

2011/08/07

いつものように大満足のSwimRun多岐

SwimRun多岐は今回も予想通りとっても楽しめるレースだったね。昨年からスイムコースはできるだけ屈曲を無くし、直線的で泳ぎ易くなっていた。スイムのタイムはいつもの程度だけど、後半だけは気持ちよく体が伸ばせた感覚で大満足。ランは緑深い山と豊かな田園のなか真夏を堪能できて大満足。泳ぎと走りという素手でできる動きの組み合わせが大好き。バイクなんてまったくもってうざい道具じゃないかな。今回も土日だけの短い滞在だったけど、来年こそもう一日ゆっくりしたいね。

一つ残念だったのは楽しみにしていた出雲蕎麦の老舗が閉店だったこと。

今日ほんの少しだけ訪れた弥生の森博物館は、来年は隣接の史跡公園も含めじっくり見てまわりたいね。

2011/08/06

夏色一色の一畑薬師寺

明日は出雲市多岐でのアクアスロン。朝一番の飛行機で出雲へ。今年は一度乗ってみたかったローカル線でまづ一畑薬師へ。最寄の一畑口駅はどういうわけかスイッチバックのポイントになってる。ことによるとその名も一畑電鉄は一畑口駅をターミナルにしていたのだろうか。駅から多分5キロぐらいの坂道は豊かな農地と蝉時雨の森をぬってゆく。懐かしい風景が本当に貴重だ。核のない社会、皆の健康をお祈りする。眼の神様として有名なので、母親の目にも効き目があるに違いない。

2011/07/31

SwimRun多岐まで1週間


季節外れの夏台風の後、これまで順調に上昇してた日本海の海水温度が下がり始めてる。信濃川流域に猛烈な降雨をもたらした気圧の谷も解消したからこれからは海も暖まるとおもうけれど。

このシーズンはトライアスロンのレースに参加しないので、バイクは一切やることなく、手軽にランとスイムだけで体を動かしてきただけだ。それでもランは意外に感じよく走れてきてる。

後は来週暖かい日本海で泳げれば、多岐でのアクアスロンを100%楽しめるはずだ。

2011/07/23

夏台風後の爽やかさ

今日は夏に入っていちばん爽やかな一日だね。台風6号通過後、大陸からの高気圧に覆われたためか湿度が低く、気温も30℃以下。今日のジョギング、爽快極まりない。

最近は、自宅から出発して大回りして市民プール(そこでしばらくイージーに30分ぐらい泳ぐ)経由でほぼ10Kぐらいで戻ってくるrun&swimコースを愛用。スイムウエアはランウエアの下に着ておいて、スイムが終わったらそのままランウエアを着けて再度走り出しても全く差し支えないことを発見し(アクアスロンみたいなもんだね)、携帯する持ち物も少なくなり、気軽に泳ぎとランを組み合わせてカラダを動かすことができる。

そのrun&swimを終えて自宅のポストを見ると、二週間後のSwim&Run多伎の参加証が届いていた。美しい日本海で泳げるのが超楽しみ。今年は例年以上に海水温が上昇しており、この調子だと多伎の海をウエットなしで泳げるだろう(大会ではウエット義務ではないから)。ランウエアとシューズ、スイムパンツのシンプルな準備だけでレースできるのが超自然体でうれしい。

2011/06/27

つくばマラソンに出るための「資格」

今日の午前10時からつくばマラソンの申し込みがスタート。お昼にネット上の待ち行列がすでに12000人以上。もはや待ち行列だけで定員オーバー。平日の朝10時直後にネットで申し込みのできる、ということがこのマラソンに出る最低限の資格らしい。ほんとに異様な状態になってしまったね。来年からはかつての青梅マラソンがそうだったように申し込み後の抽選で参加者を決定するようにすべきだろう。

一方、8月の三浦遠泳大会が開催されることになったので、こちらは郵便振替用紙でのんびり牧歌的に申し込みしておいた。これで今年は、やはりトラなし、フルマラソンなしの、一年になることがほぼ確定した。今夏のレースラインナップは、SWIM&RUN多伎、三浦OWS、湘南OWSの三つのみ。ことしはお仕事も少し忙しめだし、のんびりと節電の夏をすごすことにしよう。

2011/06/11

福島うつくしまトラが開催される

6月になってやっと朝通勤時に寄るスポクラのプール利用が再開となる。3.11以来の6/1のリオープンの朝は満を持したメンバーさんですごい混雑だったね。やはり朝軽くプールに入るのは気持ちがよろしい。

今年は佐渡参加を目論んでたが、異常な早さで締め切りとなって、トラ難民化してたところ、6月に入って、セントレアのハーフアイアンマンが追加募集始めたし、なんと、まさかの福島県のうつくしまトラ開催決定らしい。どちらもクルマで比較的容易にアクセスできるので参加を検討してる。暑い東京にいるより、レースで汗を流してるほうが気持ち良いだろう。うつくしまは、トラを始めたころ、評判のいい大会らしく一度参加してみたいと思っていた。今回コースは大幅に変更となるらしいけど、磐梯山の景観に溶け込んだコースになるのだろうと想像してる。大変なご苦労をされている地元の人たちの尽力で開催される大会に参加すること自体が、この競技をやっているひとつの意義なのかもしれない。

2011/04/24

宮古島トラの日曜日

何やらトロピカルな土曜の雨の後、朝からどこまでも穏やかな春の日曜日。ハナモモが咲き乱れ震災がなければどんなに晴れやかな気分だろうかと思ってしまう。今日は、やはり見てしまう、宮古島トライアスロンの中継。スイムの最終泳者まで写し切っていたところは最後まで見てしまった。海岸でツカサの方々が競技中スイムの安全を祈願し続けていたというのは今回初めて知った。初出場した5年前と違わない会場やコースの様子がなつかしい。いつかまた宮古島に行くことがあるだろうか。今年は佐渡Bに出るチャンスも逃してしまったので、近場の彩湖トラに出ることにしようかと思っている。トライアスロンのお祭り気分だけは年に一度は味わいたいものだから。宮古島での一日皆さん精一杯楽しんでほしいものだ。

2011/04/09

時間をかけて泳ぐと速くなる

「時間をかけて泳いでください」 時間をかけてゆっくり腕を前に運ぶ、時間をかけてゆっくり腕を使い次に肩を使い腕を伸ばす(呼吸の側の腕だと目で腕をゆったり見つめる、反対側だと腕に頭を乗せるようにねじりながら頭を前にずーっと運んでやる)、伸ばす腕の反対側の腕も後ろに時間をかけて伸ばす。「時間をかけて泳いでください」という荒井コーチの言葉の中にはこれだけの意味が入っている。この感覚が体全体で実現したとき、確かに気持ちよくスッと泳げることがある。名言だと思った。

2011/04/06

佐渡Bも締め切りになってた

佐渡Bは今週中にでも申し込めば大丈夫だろうとたかをくくっていたら、なんと!Bもおととい申込締切となっていた!トライアスロンのエントリー、全く油断できない時代に突入してしまったね。あわてて、かねがね参加してみたかった四万十川水泳マラソンの申し込みを本日郵送した。ということで今年は7年ぶりにトライアスロン参加なしとなってしまうかもしれない(残念!)。あとは出雲市の多伎で開催されるアクアスロンが狙い目だが、まだ開催の報知がない。今年は震災の年だし、我慢することにしようか。

2011/04/03

地震発生後3週間

佐渡トライアスロンのHPをみたら、なんとAタイプのオンライン申し込みはたった一日で締め切りになっていた!タレントなどの参加で露出度が上がっているとはいえ、エッというかんじだ。つい3・4年前までは定員に達することもなく開催されていたのに。今年はBタイプ出場予定しているがこちらのほうもぼやぼやしてると参加できなくなるぞ。エントリーしていた板橋シティーマラソン、かすみがうらマラソンもともに開催中止になってしまった。福島原発はいまもって心配だらけ。さらに、4月1日には、予想外の辞令をもらうことになり、こちらの仕事もまずは震災対応になりそうだ。エネルギーにしても食料にしても、東日本大震災は日本の社会の期待のカタチを大きくより持続的な姿に変えていくだろう。その変化に少しでも役立つような仕事ができればと思っている。

2011/03/26

震災後はじめての夜スイム

東日本大震災の後、寒く雨がちな日が続いた。福島原発からは、心配なニュースばかりで、懸命の対策にもかかわらず今も放射性物質が漏れ続け、日本の国土と海が汚染され続けているているのだろう。全く気分の滅入る二週間だったが、先週から再開されていた夜スイムにやっと行く気分が戻ってくる。幸い、夜スイムで使用してるプールは半地下で造りがしっかりしていたらしく損傷はない。ほぼ1ヶ月ぶりの夜スイムだが、宮古島にいく人たちを中心に結構にぎやかな感じ。こうしてカラダを動かすことの貴重さをつくづく感じる。右呼吸のため、左腕の入水からキャッチの間に、自分の頭を腕に乗せて前に運ぶような感覚を大事にするといいよ、という荒井コーチの指摘はまったくその通りで、パドルのドリルのときはそのワンポイント指導でずいぶん速くなる!久しぶりのスイムでカラダがなまっていたのと、泳ぎが硬く伸びがなくなっていたようだ。4月からはできるだけ毎週参加したいと思う。

2011/03/13

大地震後2日目

日曜のランチに三陸産の生の芽ワカメを買ってきた(まさか売っていないと思ってたが地震が起こる前に出荷されたものだろう)。このワカメを採ってくれた人、送ってくれた人たちは無事だろうか。わかめが本当においしいだけに気になる。こんどこんなにおいしいワカメが食べられるのは一体いつになるのだろうか。このワカメを買った小さな近所のスーパーでは、トイレットペーパやパン類などの棚が空っぽ。さらに野菜や魚の一部は入荷できず品数が限られていた。

福島原発が心配だ。今回の原発の事故に関しては、日本のメディアより外国のメディアのほうが遥かになまなましい報道をしてる。アメリカはスリーマイルを経験してるし、ヨーロッパの人たちはチェルノブィリの悪夢を知っているから。ベントという素人がわからない言葉を使ってるけど、要するに放射能を外に出すしかもう手がなくなっているということ。格納容器に海水を満たした原子炉があるけれど、一体海水の熱容量だけで原子炉の冷却ができるのか、よくわらん。安全に原子炉が停止することだけを祈る。

東京近郊に限っても、今週一週間は金曜日のゆれ程度(やそれ以上)の地震が千葉沖などで起こっても全くおかしくない状態だろう。明日月曜日に出勤するときは、徒歩帰宅用のシューズとバイクのヘルメットを持っていくことにする。

2011/03/12

東北大地震:帰宅30kmウォーキング

東北大地震の被害が拡がっている。もうすぐ待ち遠しい春が来て桜が咲こうという時になんということだろうか。東京でも相当激しくゆれた。麹町の職場のビルから逃げでたら、まわりのビルからもサラリーマンが通りにでており、強い揺れが続く中騒然とした状態。勤務免除(もう帰りなさい)が出たため、すぐに甲州街道を西へ向かう。鉄道はすべて止まっているので、歩道は大変な人。携帯もメールもぜんぜんつながらない。家のことを(多分大丈夫だとは思いながらも)心配しながら、歩いていく。信号で止まりながら進むので、ちょうど皆生トラのランを歩いているような感覚だ。距離も30K。余震が起こっているようで、歩きながらも少しゆれを感じる。途中の歩道では旧い建物の壁面が崩落してコンクリートの塊が落ちているところもある。気をつけて歩こう。

大地震のあとなのに、甲州街道沿いのレストランとかカフェには意外に落ち着いて休憩したり食事したりしているひとが結構いる。スーパーなんかも普通に営業しているようだ。「帰宅途上の方々、よかったら無料のお茶で休んでいってください」という看板をだしている食堂もあった。5から6時間で自宅到着を予定していたが、5時間半ほどでようやく京王の府中駅に到着。その手前で「東京オリンピックのときの競歩50K折り返し地点」という大きな看板が出ていたので、その地点ですでに30Kほど歩いていたのだろう。甲州街道はクルマでぎっしりだったが、府中街道はある程度動いているだろうと予想して、幸い動いていた国立行きのバスに乗り、ようやく自宅にたどり着いたのは午後10時過ぎだった。家の被害などはなく、有線電話で家族の様子も確認でき一安心だが、余震がまだ続いていた。シューズがランシューズでなかったため、足の裏が痛くて、変な風にふくらはぎが疲れている。一度シミュレーションしようと思っていた災害時の徒歩帰宅を、皮肉なことにやっと本番で実体験したことになった。

家でテレビをみて大変なことになっていることを改めて認識。怪我もなかったぼくらは運が良かっただけ、今後余震も起こる可能性も非常に高い。ぼくらも油断することなく、かつ激しく被災した地域の方々にはお見舞いを申し上げるしかいまのところない。